文章の短さという威力
その昔、アーネスト・ヘミングウェイという人が
「六つの単語で物語を作れるかどうか」
という賭けで見事に勝利しました。
ヘミングウェイはのちのち、この物語を自分の最高傑作だと言っていたそうです。
For sale: baby shoes, never worn
売ります:赤ちゃんの靴、未使用
ちょっとタイミングが悪ければ涙するかも知れない。
これ以上削れないし、これ以上付け足せば余計になる。
そして、そのセンテンスの裏側には、読む者一人ひとりが感じる大きな物語性が潜んでます。
たった6語だけど、短いからこそ、この物語は力強さを増します。
一方、日本には昔から俳句という文化があり、短い言葉の持つ威力というのは一般に広く浸透しています。
僕は自由律俳句の種田山頭火という人が好きで、この人の俳句をたまに読み返したりします。
分け入っても分け入っても青い山
という句を読めば、青い山という言葉に託された思いや、分け入ろうとする儚い努力が、我々を山頭火の物語へと引き込みます。
言葉は時に、重ねれば重ねるほど、その力強さを失うことがあります。
逆に言葉を削り、最小限の言葉で表現すること。
そうして得られる、ピンと張り詰めた緊張感や、想像を喚起させる力強さ。
こういったものは、文章が短い方がより伝わりやすい。
そんなような事を、原宿の騒動を見てて思いました。
Twitterの伝播力と即時性も凄いんだけど、一方で文章の短さも人々の想像力をかき立てたんじゃないだろうか、と。
140文字というと相当長い文章も作れるけど、即時性を重視した時には十数文字でポストすることも多い。
文章の短さは大変な威力を持つ。
時にそれは人々をパニックに陥れることもできる。
そんな風に、大げさに思っておくといいかも知れないね。
Twitterでは全員が情報の発信源だから。
あと、未確認の情報には[未確認情報]くらいつけた方がいいよね。
そんな風に思うこの頃です。